Thunderbirdの日記

桜梅桃李 鏡花水月

アルバイトの思ひ出


まだ高校生だったころ、
欲しい物が多すぎて、夏休みや
冬休みにはアルバイトに精を出していた。

いつもは、道路工事をする土建屋さんに
お世話になっていた。

冬場は良かったが、夏場のアスファルト
おとろしいくらい熱く、靴底から熱が伝わってきた。

昔は熱中症という病気はなく、
お金のために限界まで働いていた。

帰りに貰える日当は3000円。

高校生には十分だった。


春休みの前の日に、悪友の家にたむろしていたとき、
バイク雑誌をみて何かが反応した。


急に電話をとり、休暇村雲仙に電話した。


「アルバイトしたいので、雇って下さい」と電話口でいきなり言った。

フロントの人が、募集してませんよと言った。

分かっています。それでも雇って下さいと頼んだ。

数回のやり取りの後、変な電話が掛かってますと
言いながら偉い人に替わってくれた。


お金が欲しいのでアルバイトさせて下さいと頼んだ。
アルバイトは急に雇えないと説明された。


それでも仕事がしたいんですと言った。


高校と家はどこか聞かれたので、正直に答えた。
ずいぶん遠いなーと言われた。


変わったやつだなーと言いながら、近くにいた人に
バイトしたい高校生がいるけど、何かやらせることは
あるかと聞いていた。


倉庫の片付け、大浴場の掃除、テニスコートの整備、
スワンボートの発着の管理、皿洗いなんかだったら
出きるかなーと話しているのが聞こえた。


どーしても働きたいか?と聞かれた。


いい仕事しますよと答えた。


お互い笑った。


今から面接するから来いと言われた。

3分後にGT50で緊急発進した。


車で30分ぐらいかかるところを
20分で到着した。

安全運転だった。

着くなりさっきの電話の偉い人が面接して、
次の日から採用してくれた。


こんなことは初めてだと言われた。


1日2800円と安かったが嬉しかった。


1日目のバイトは無事に終了した。

次の日に行く途中で、バイクのスピードが
出なくなり、最後は止まってしまった。


当時は携帯もなく、山の中の
国民宿谷なので、ど田舎道。


しかもずっと上り坂だった。


公衆電話もなく、ひたすら走ってやっと
公衆電話を見つけた。


10円玉がない。
100円玉はもっとない。


電話機の下の溝の蓋を開けたが、落ちてなかった。


近くにいた農作業中のおばちゃんに
緊急事態だから10円貸して欲しいと頼んだ。


入れ歯をかぱかぱしながら何か言ったが
よく聞こえなかった。


身振りで返さなくていいと言って10円くれた。


そう見えただけかも知れない。。。


すぐ電話して事情を伝えた。


偉い人が出て来て、高校生は
これだかならなーと怒られた。


謝るしか無かった。


場所を伝えたときに3分過ぎて
電話が切れた。

バイクを押して家に帰ろうとしたとき、
宿舎のバンが見えた。


前日に私の世話をしてくれた、
長老のおじさんだった。

故障したのは本当だったんだなーと
笑いながら言った。

バイクをバンに載せて宿舎に運んで貰った。


偉い人が出て来て、話を聞いてくれた。

仕事がきつくてやめるのかと思ったと言われた。

電話でボロクソ言ったを謝ってくれた。


少し遅刻したが、2日目も無事に終わった。

帰りも30分かけて、バンで運んでくれた。

嬉しかった。


修理に出して、復活するまで悪友のボロボロのTY50を借りた。


もしも途中で壊れても走れば間に合うように、
かなり早めに出発した。


数日後に、次日が雨の予報だった。


バイクじゃ来れないなーと言われた。


カッパ着て来ますよと答えたとき、
迎えに行くと言ってくれた。

嬉しかった。


倉庫には、客室の故障したテレビが
いっぱい置いてあった。


電気関係は得意だったので、
簡単に直せる物は修理した。


殆どがチャンネルの接触不良と
電源コードの断線だった。


大浴場の掃除のときに使う薬剤が
とんでもない匂いで苦戦した。


テニスコートの整備は、ネットの張り替えや
ラインの補修や周囲の草取りをした。


手漕ぎボートやスワンボートに乗る人に
使い方を教えたり、乗るときに落ちないように
ボートを支えたりした。


それでも落ちる人がいた。


友達が来たらただで乗せた。


時間があるときは水くみや拭き掃除をした。


レストランでは、コーヒーを煎れたり
皿洗いをしたり、便所掃除もした。


そんなこんなで2週間が過ぎ、バイト代を貰った。

偉い人が出て来て、頑張ったからと言って
3000円別にくれた。

とても嬉しかった。


あとで聞いたが、個人的にくれたお金だった。


バイクの修理代で半分なくなった。

マフラーにカーボンが詰まって、
完全にふさがっていた。

ついでにタイヤも交換した。


次の休みのときに、また来ないかと電話があった。


何も言わなかったのにバイト代を上げてくれた。


頑張って働いた。


卒業して、行くところが決まらなかったら
うちに来いと言ってくれた。


結果的には行かなかったが、最初の強引な
売り込みだった割りには、ずいぶんかわいがって貰った。


忘れられない、いい思ひ出である。