灯台の思い出
灯台と夕焼け。
高校生の頃、雨の日以外は夕食後に毎日バイクで通った。
普通に走って15分ぐらいだったかな。
何かをする訳でもなく、誰かと待ち合わせるでもなく、堤防に座って
灯台を眺めていた。
N.S.Pの「夕暮れ時はさびしそう」を思い出す。
とてもゆっくりした時間が流れる場所。
時空の歪みを感じる。
中学生の頃は、自転車にSONY スカイセンサーICF-5600を積んで
近所の海に行っていた。
FMで、中村雅俊の「盆帰り」を聞いたことを、なぜかはっきり覚えている。
その他は、短波でNSBのヤロメロを聞いていた。
当時、いっぱい集めたベリカードは、引っ越しのときに全部捨ててしまった。
アンデスの声やドイチェベレ、ワライカワセミの声などを聞くために、家の屋根に
恐ろしいほどアンテナ(電線)を張って、海外放送を無理矢理聞いていた。
上位機種の5900なら、あまり苦労しなくて済んだと思う。
なぜわざわざ塩害のある海に行って聞いてたのか不明。
基本的に海が落ち着くのだろう。
ICF-5600は今も現役で使っている。
ダイモテープで、S.49.12.24と貼り付けてある。
お年玉を貯めて、自分へのクリスマスプレゼントとして買った。
中1のときに、隣町の電気屋さんに、自転車で1時間かけて行き、定価20500円のを
500円負けてもらった覚えがある。
ボタンの赤い印が音質関係で、黄色い印がチューニング関係だと説明してくれた。
当時は通販やネットショッピングは流行ってなく、基本的に定価販売だった。
落とすといけないと言って、自転車の荷台に丁寧に積んでくれた。
今は、そんな人間的な暖かみのある店が少なくなった。
ラジオの寿命が先か、私の寿命が先か楽しみである。
最近の若者は、ラジオを聞かないから、想像する力が弱い。
あげくに「壊れたら捨てる」的な考えが多く、「直して使う」の発想がない。
実にデジタル的なと言うか、短絡的な考えが多い。
竹ひごで作る、ゴム動力の飛行機なんかは作れないだろう。
似たように出来たとしても、ちゃんと飛ばないだろう。
団塊世代の技術の継承と同じく、昭和の遊びや楽しみは無くなってしまうのだろう。
ゆとり教育と言っているが、人間的なゆとりとは違うような気がする。
もっとラジオを聞いて欲しいと思う。
将来はラジオか灯台になりたい。